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千代女の時代
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 加賀の千代女は元禄16年(1703)、加賀国松任町(現在白山市)の表具師、福増屋六兵衛の娘として生まれました。幼いころから俳諧に親しみ、湊町本吉などの開明な俳人達に学んでいたと伝えられています。

 享保4年(1719)美濃の各務支考は、松任で17歳の千代女に会い、あたまからふしぎの名人と絶賛しています。

 宝暦4年(1754)52歳で剃髪した後の10年余りはめざましい活躍を見せ、宝暦13年(1763)には、藩命によって朝鮮慶賀使献上の句軸・扇を書上げ、翌年には既白編『千代尼句集』を発刊しています。こうした活動は地方俳壇に大きな刺激を与え、やがて全国的な俳諧中興の機運を醸成していったと考えられます。

 安永4年(1775)9月8日、長くつづいた病のあと73歳で長逝しています。

  代表句「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」は広く知られ、その心は通じて今も多くの人々に親しまれています。


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