ホーム俳句をつくる千代女の時代俳句へのいざない千代女の里 俳句館について
加賀の千代女について千代女の年譜加賀俳壇史交流のあった俳人・俳壇
千代女の時代
現在ご覧のページはHOMEの中の千代女の時代の中の交流のあった俳人・俳壇 のページです。
交流のあった俳人・俳壇
松尾芭蕉

松尾芭蕉 (まつおばしょう)

【生没年】 寛永21年(1644)〜元禄7年(1695)。享年51歳。

 伊賀上野の人。初め藤堂良忠に仕え季吟門。 江戸に出て延宝5年頃に立机、談林調俳人として活躍。
 『野ざらし紀行』をはじめ数度の俳諧行脚して俳諧師として大成。
主編著『おくのほそ道』『猿蓑』など。 松任での逸話『万子翁にまゆみ翁北枝に留別(『芭蕉翁頭陀物語』)『万子翁餞別の説』(『俳諧世説』)は有名。


各務支考

各務支考 (かがみしこう)

【生没年】 寛文五年(1665)〜享保16年(1731)。享年67歳。

 美濃の人。元禄3年(1690)、近江で芭蕉に入門。蕉門一の理論家で師没後は美濃派を形成。 伊勢山田に草庵をつくり、郷里美濃と二大基地として金沢、北越など全国に遊吟の旅を三十余年も続ける。
 編著に『葛の松原』『笈日記』など。享保4年8月24日千代女の家を尋ね、俳諧指導をする。

加賀俳壇史


仙石廬元坊

仙石廬元坊 (せんごくろげんぼう)

【生没年】 元禄元年(1688)〜延享4年(1747)。享年60歳。

 美濃北方の人。支考の後継者として美濃派の基礎を確立。
 享保12年(1727)に越前、加賀、越中等に旅をし、派道統三世。支考の薦めで『桃の首途』を刊行。 松任で千代女、半睡、若推と『松任短歌行』を巻いている。
 編著『藤の首途』『文星観』。


中川乙由

中川乙由 (なかがわおつゆう)

【生没年】 延宝4年(1675)〜元文4年(1717)。享年65歳。

 元禄3年春、伊勢に来遊した芭蕉に入門。後に凉菟に師事、支考にも親交。凉菟没後伊勢俳壇の中心となり、伊勢派、麦林派と呼ばれる勢力を築いた。 平明軽妙な俳風で美濃派と合わせて田舎蕉門または支麦の徒と俗に称された。
 編著に『山中集』、『伊勢新百韻』等。没後乙由の息麦浪が『麦林集』を刊行。


沢露川

沢露川 (さわろせん)

【生没年】 寛文元年(1661)〜寛保3年(1743)8月23日。享年83歳。

 伊賀国友生の生まれ、名古屋の人。尾張蕉門の雄。元禄4年(1691)芭蕉に入門、丈草、支考と親しみ、諸国の蕉門撰集に入集する。
 宝永4年(1707)以降俳諧行脚を繰り返した。北陸には享保6年(1721)燕説を同道して、各地で大規模な句会を催しながら北上し、既に勢力を張っていた支考と厳しく対立した。 この行脚を記念し越後高田の巻耳を編者に俳諧撰集『北国曲(ほっこくぶり)』が編まれている。
 千代女は金沢でこの句会に参加し、『北国曲』に初入集している。


和田宇中

和田宇中 (わだうちゅう)

生没年未詳

 加賀小松の人。元禄16年に支考を請じて会を催す。このときの記念集『夜話くるひ』で美濃派はこれ以来小松に根拠を張る。加越俳壇の重鎮。
 編著『東六鳳』『百からす』


須磨女

須磨女 (すまじょ)

生没年未詳

 加賀小松の人。 享保11年(1726)加賀の女性俳人紫仙、千代、須磨等の句を収めた『姫の式』が刊行。この中に兎路、魯加、哥季、蝦麻、素波の歌仙及び須磨女の4句あり。


和田希因

和田希因 (わだきいん)

【生没年】 元禄13年(1700)〜寛延3年(1750)。享年51歳。

 加賀国金沢の酒造業。北枝、支考、乙由に師事。その居を暮柳舎と号し、伊勢派の第一人者となり、門下に麦水、闌更、二柳等多くの中興俳人を輩出した。
 編著『北時雨』。句集『暮柳発句集』。

加賀俳壇史


紫仙女

紫仙女 (しせんじょ)

生没年未詳

 加賀金沢の人。夫は野角で高岡俳壇の重鎮。正徳五年の『八ゆふくれ』に野角ツマとして初めて一句入集。
 野角は後年金沢に移住し、希因一派の浅野川連中と交り活躍し、希因の先輩格として享保6年露川来遊を手厚く迎えいる。 享保15年野角没し、紫仙女は剃髪し、素心尼と称したのであろう。元文4年7月に没したらしい。 享保11年(1726)千代女と『姫の式』を那留の行善寺に奉納した。
 戸出の康工編『俳諧百一集』(明和3年 1766年)。尼素心は紫仙女の後の姿。


卯尾若推

卯尾若推 (うおじゃくすい)

【生没年】 ?〜寛延2年(1749)。

 加賀國本吉の人。支考門。享保12年(1727)蘆元坊が松任を訪れ『松任短歌行』で千代女、蘆元坊と連歌『三物拾遺』で千代女、半睡と歌仙。半睡(のち大睡)と千代女は長く親交。


岸大睡

岸大睡 (きしだいすい)

【生没年】 貞享元年(1684)〜安永5年(1775)。享年92歳。

 加賀本吉の人。幼年期の千代女の師として知られる。本吉藤塚社東田圃に三葉庵を結ぶ。
 編著に『俳諧のきれ』『硯洗ひ』。


飯島珈涼

飯島珈涼 (いいじまかりょう)

【生没年】 元禄9年(1696)〜明和8年(1771)。享年76歳。

 加賀国金沢の人。父は俳人喜多村雪翁。金沢富商飯島五々(坂尻屋八郎右衛門)に嫁ぐも夫と死別し尼となる。希因門。越前の哥川、千代女と共に北陸の三女性といわれた。千代女らと風交。
 稿本『渡り鳥』(紀行)がある。


河合見風

河合見風 (かわいけんぷう)

【生没年】 正徳元年(1711)〜天明3年(1783)。享年73歳。

 加賀国津幡の人。俳諧は希因に学び、百川、千代女らと風交。諸国人たちは見風宅を訪れたが、自ら国を出ることがなかったという。
 編著『霞がた』等。


館屋如本

館屋如本 (たちやじょほん)

【生没年】 ?〜明和8年(1771)。

 加賀金沢の人。金沢新町に住居したといわれる。希因十三回忌に『北時雨』を刊行。千代女と風交。


堀麦水

堀麦水 (ほりばくすい)

【生没年】 享保3年(1718)〜天明3年(1783)。享年66歳。

 加賀国金沢竪町の蔵宿。初め美濃派の支考門の百雀斉五々、のち伊勢派の乙由の子麦浪に師事して麦水の号を与えられた。『虚栗』調に傾向、支麦調に抗して蕉風復帰を唱えた。
 編著『蕉門一夜口授』『新虚栗』


高桑闌更

高桑闌更 (たかくわらんこう)

【生没年】 享保11年(1726)〜寛政5年(1798)。享年73歳。

 加賀金沢の人で商家(釣瓶屋)に生まれる。希因門。地方遊歴を重ねた後、京で医を業としつつ一派をなした。芭蕉復興に尽力。
 編著『有の侭』『月あかり』『花の故事』等。『千代尼句集』『はいかい松の声』の跋文書く。


既白

既白 (きはく)

【生没年】 ?〜安永元年(1772)。

 加賀寺井の人。僧侶。俳諧は希因に学び、闌更とは同門の親友。
 編著『蕉風昔話』『破れ笠』『夕日烏』『埋れ木』 『千代尼句集』『はいかい松の声』等。


中川麦浪

中川麦浪 (なかがわばくろう)

【生没年】 ?〜明和5年(1768)。

 麦林舍乙由の子で伊勢山田の人。父乙由の句集『麦林集』刊行。
 編著『夏の白根』『秋の風』『梅の雫』等。


小寺後川

小寺後川 (こでらこうせん)

【生没年】 ?〜寛政12年(1800)。

 金沢の人。希因の子息。のち父の暮柳舎の号を継いで、その二世。また父および蝶夢に学んで金沢で活躍。
 編著『心まかせ』『梅の草紙』。


黒瀬屋山叩

黒瀬屋山叩 (くろせやさんこう)

【生没年】 享保6年(1712)〜寛政2年(1790)。享年70歳。

 加賀小松の人。左静の子息。
 鶴来金剱宮寛延元年奉納俳額に黒瀬屋山叩の名が見える。
 編著『秋祭』『都の冬』『芳野の花』『初秋』『発都安幾』等。


長谷川哥川

長谷川哥川 (はせがわかせん)

【生没年】 ?〜安永5年(1776)。

 越前三国の人。荒町屋の遊女長谷川。のち豊田屋の女将。俳諧は巴浪門下で加賀の千代女らと親交。
 晩年は僧侶となり、滝谷寺の近くの庵に住み、俳諧を親しむ。


尾崎康工

尾崎康工 (おざきこうこう)

【生没年】 元禄14年(1701)〜安永8年(1779)。享年76歳。

 越中戸出の人。諸国を遊歴して六壁庵を結ぶ。
 編著『俳諧百一集』は有名で、守武以下の著名俳人100人を選び、像を描き、それに代表作一句を題して短評を添えたもの。千代女も含む。麦林、希因に学ぶ。
 編著『金花伝』『武越文通』『蕉句後拾遺』など。


相河屋すへ女

相河屋すへ女 (そうごやすえじょ)

【生没年】 享保4年(1719)〜天明8年(1788)。享年69歳。

 加賀松任の人。酒造業相河屋の娘。養子久兵衛を迎えて家を継ぐ。
 40歳のころ、夫之甫とともに諸国へ旅をし、俳人と風交。
 『加賀の千代全集』にすへ女の句127句収む。


相河屋之甫

相河屋之甫 (そうごやしほ)

【生没年】 正徳5年(1715)〜天明元年(1781)。享年67歳。

 加賀松任の人。相河屋(酒造業)へ養子に入り、すへ女の夫となる。
 俳句は伊勢派の門人。『加賀の千代全集』に『志甫句集』として31句を収む。


蝶夢

蝶夢 (ちょうむ)

【生没年】 享保17年(1732)〜寛政7年(1795)。享年64歳。

 京都の人。岡崎に五升庵を結ぶ。宋屋門。二柳らとの交流を通じて蕉風再興を志す。
 蕉風を知ってその顕彰と復興につとめ、『芭蕉翁絵詞伝』『芭蕉翁文集』等多くの芭蕉関係の編著。


有井諸九

有井諸九 (ありいしょきゅう)

【生没年】 正徳4年(1714)〜天明元年(1781)。享年68歳。

 筑後竹野の人。同族の喪のと結婚したが野坡門の医者、俳人有井湖白(浮風)と密通、駆け落ちして大坂、京に移住。 夫の死後剃髪。後蝶夢の援助で湖白庵を設けた。旅を好み、諸国の俳人と風交を重ねる。
 編著に『その行脚』『諸九尼句集』など。