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俳句へのいざない
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俳句が詠みたくなる名勝地

木滑神社と関所跡

木滑神社と関所跡所在地図

 

 木滑(きなめり)と留番所

 木滑から瀬戸にいたる地区は、中宮・尾添方面と桑島・白峰方面とわかれる分岐点で白山へ登る要地であることから、多くの伝説が残されています。木滑の濁澄橋のたもとには、藩政時代の留番所の跡があります。

 白山山頂の支配権をめぐって、中近世のあいだ激しく続いた尾添と白峰との(争論)の後、ごうを煮やした江戸幕府は、対岸を越前の国に組み入れ、そして、寛文8年(1668)に一帯を天領としてしまったのです。加賀藩は、寛文元年(1661)木滑に留番所(関所)を置いています。

 白山麓の橋はいずれも川面から高いのですが、旧道に残る濁澄橋も高く、尾添の葛渡橋、中宮の一橋と共に三橋と言われます。斜面に作られた木滑の集落内には泉も置かれ、紅葉のシーズンや蛍のころには隠れた観光スボットとなっています。

 また、対岸の丘陵上には、戦国末期、織田軍勢に対する一向一揆の砦となった瀬戸丸山城跡(現在は少年自然の家となっている)もあります。